学校長より




森 章


 

『貴方の友人は』

 

友達の名前を一〇名書き出して下さい!と質問された時に、何名の名前を書き出すことが出来ますか?

すらすらと一〇名の名前が書ける人もいれば、悩みながら書いたり消したりしながら一〇名を書く人もいると思います。でも多くは数名の名前を書いてから、あと誰がいるんだろうと考え込んでしまい書けないのが現状です。大勢いるようで意外に少ないのが友達です。

ふつうは気が合うとか趣味が同じだとか、暇な時に一緒に居れば楽しいと思う友達は沢山います。学校や部活動が同じ、通学の電車が同じ方向だから友達だと思う人も多いでしょう。しかし、今どきだとネットで知り合ったり、ラインで友達に紹介された友達もいるようです。互いに顔を見せていないから何でも話せると思っている人も多いようですが、この場合はお互いに顔や姿を見せないで会話が進む、仮想現実の空間の連絡相手で友達ではないと思います。

本物の友達は、眼の前で顔を突き合わせて、自分が何か悩んだとき苦しんだときに相談が出来る友達。もしも間違いがあれば自分の事のように心配して顔を赤くして唾を飛ばしながら怒ってもくれる友達。大切なものを預けても、お互いに任せた、任せておけと心が通う安心できる友達。大好きな部活動を辞めなければならないとき、生活を守るための最重要な仕事を離れなくてはならないときに、悔しくて泣きながら打ち明けられる友達。試合に勝った必死の勉強が実り合格できた、もの凄く自慢したい事や嬉しいことがあった時に一番に教えたい友達は、と条件がついたら書こうとしていても、考え込んでしまい途中で書けなくなってしまうと思います。それほど本物の友達は少ないのです。少ないから価値があり大切な存在なのかも知れません。

それでも名前が書けたら、その相手の人も貴方を友達だと思っている本物の『心友』です。友達が一人なら一本の糸、友達が一〇名なら一〇本の糸と考えれば友達の数だけ糸があります。その糸を『固い絆』と呼ぶのです。貴方は何本の『固い絆』の糸を心に結んでいるのでしょうか。

 さて名前を書こうとすれば、相手の顔が浮かびます、相手の態度や口癖が思い浮かびます。眼が澄んでいて眼元に小さなホクロがあった。口元から八重歯が見える。髪は癖があってカールしていた。細身で背が高かった。小さいけどがっちりした体形だった。困ると指先でボールペンをしきり動かす。若いのに歌は演歌、成績が良いのに漫画が大好きだ。たまに怒るけど本心は優しく温かい。今は駄目男でも将来は社長になる。ハッタリは許されるが嘘は駄目だからね。同じ大学に合格しよう、今年こそは全国大会に行くぞ、絶対に目標の大学に合格して将来はビックになる…。そんな友達の顔を思い浮かべて下さい。

『類は友を呼ぶ』

友達の名前を書き終わったら、もう一度友達の性格や趣味・価値観や感性を思い浮かべて下さい。今の貴方と大きな生き方の差、物を見る価値観の差、趣味や休みの時の過ごし方の差はありましたか?考えて見れば大きな差が無いことに気づきます。

それは同じ生き方・価値観・感じ方の人と居る方が楽だし安心感に包まれるから、同じような人が集まって来るのです。同じような人が集まっている場所にあなた自身も近寄って行くのです。

勉強が何よりも楽しいし幸せだと感じている人が、スポーツ大好き体を鍛え上げることが趣味だという集団に入れば、その時から辛いし息苦しくなるのです。逆にスポーツ大好きの人が勉強大好き研究が趣味の世界に足を踏み入れたら、周りを見渡して頭が痛いめまいがするとなるのです。勉強も適当であるし部活動も集中力が不足の人は、やはり勉強も適当にやり部活動も試合が近づけば頑張るけど、まだ日数があれば言われたまま指示を受けたままをこなしている人が好きなのです。これも逆に勉強も部活も目標を定めて頑張る人は、適当に汗を流している人を見ると、イライラして腹が立ってくるのです。常識を持った人は常識を持った人を好み頑張る人は頑張る人が好みなのです。趣味や部活動が同じだと親近感が漂うのも同じです。ですから『類は友を呼ぶ』この言葉は、お互いに必要以上の気を遣わなくても安心できる関係をいうのです。

そこで一つの提案です。貴方が書きだした友達とその名前を思い浮かべると『類は友を呼ぶ』ではありませんが、今の貴方のレベル・考え方・価値観・行動の善悪などは貴方が書いた友達と同じだと気づく人が多いのです。

同時に人は誰でも今の自分には満足はしていないものです。心のどこかでは今と違う自分を探しているのです。人に認められタイ・役に立ちタイ・褒められタイの三匹のタイも同じ心境ですが、それを目標とか夢とも言うのです。貴方が将来の夢の扉を開こうとするときに、今の貴方よりも数段上の世界に道があることにも気づいて下さい。

気づいたら、自分よりも数段上の世界で頑張っている人に話しかけてみませんか?その人の真似をしてみませんか?真似が学ぶになるのです。今までの『固い絆』も大切にしながら、貴方より少し上を走っている人とも、新しい『糸』を結んでみましょう。


 (平成29年12月)

 

 
【ひと言】~From the Principal~
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2017/12/21

学校長より

| by 教004
私には小学生と幼稚園児の男の子の孫がいます。ボールを追いかけ自転車に乗り、虫を捕まえるのが大好きな孫たちの、その瞬間の顔は明るく可愛らしく輝いています。大きな笑い声や元気な話し声は、傍で見ているだけでも元気がもらえそうな気がしてきます。

次の瞬間母親である娘の一言で雰囲気は変わります「そろそろ自転車とボールを片づけて。手を洗ってウガイして」すると、もっと遊びたい・片付けはしたくないとの空気に包まれます。片付けをしている顏は明らかに走り回っていた顔ではないのです。嫌いだけど言われたから、仕方なしで片付けをしている雰囲気が漂います。そしてご飯の時にも、孫たちの顔が変わります。大好きなご飯のオカズのときには笑顔でパクパクと豪快に食べまくりますが、きらいな食材が入ったオカズのときにはお茶碗に移したりお皿に移したりしながら、時間を引き延ばしている様子がうかがえます。次の瞬間「早く食べなさい」の声に泣きそうになりながら食べ終わる姿をみて、また一段成長しているかな?と微笑む瞬間でもあるのです。

さて孫の話で始まりましたが、今の子ども達や高校生、そして大学生や若い人たちは同じように好きと嫌いがはっきり区別?分別?され過ぎている気がします。

 【好きな事は懸命に、嫌いな事は避ける】


子どもの頃から、好きな食べ物を食べて、好きなオモチャで遊び、好きなところに親に連れて行ってもらう生活をする。学校に通うようになれば好きな友達とお喋りをして、好きな場所に遊びに行って好きなように時間を過ごし、好きな時間に帰ってくるのです。この間に嫌いなことは殆ど無いのです。

これを繰り返していれば、やがて自分勝手な生き方、自己中心的な考え方になってしまうのです。でも幼いころからの生活習慣ですから、本人も親も気がつかないで時間だけが過ぎてゆくのです。すると嫌いなことが身に迫れば、好きなことだけの経験しかないので、明らかに嫌いなことから身を遠ざけ、避けるようになり、嫌いな相手に拒否反応をするのです。

勉強や部活動でも嫌いな科目や単元は嫌そうな雰囲気指示されれば無視をするか何でやらなければならないのとふて腐れる態度が出てしまうのです。人がコミュケーションで大きな失敗や悩みを抱えるのが、実はこの好きと嫌いに原因があるのです。

大人も、ご近所(子供会、町内会、消防団など)や親戚とのお付き合いは嫌い、子どものスポーツの習い事の集まりは好きだから参加する、仕事も指示されたことは頑張り、好きな事だけは一生懸命にこなすうちに、気がつけば本当の友達がいないことに気づき悩みだすのです。そこで大切なことは好きと嫌いの間に、嫌いだけど笑顔で頑張ってみる、少しだけ我慢してみる、そして我慢が出来たらもう少し頑張ってみる階段を昇ることが大切だと思うのです。日本人は白か黒と区別して争うよりは白と黒の間には「灰色」があることを発見したのです。ならば好きと嫌いの間に「好きじゃないけど、嫌いだけど」頑張ってみるかの心が欲しいものです。

 

(平成29年7月)

 


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