学校長より





森 章

     『動物に学ぶ(日本の国鳥)

   


多くの人に「日本の国鳥は何という鳥ですか?」と質問をしてみると、タンチョウ・白鳥・トキ・雷鳥と多くの名前が挙がりますが正解の《(きじ)》と応えられる人の少なさに驚きます

私も日本の童話でも昔話でも多くは登場しない雉がどうして、国鳥に選ばれたのか子どもの頃に不思議に思っていました。

でもこんな話を営林署の方から聞いたことがありました。

山火事が発生すると、イノシシ・イタチなどの動物やヤマバト・ウグイス・カラスなどの野鳥も総べて逃げ出します。それは命が大切なことは動物も鳥たちも本能で判っているからだと聞きました。

山火事が鎮火し、山の点検をしていると《雉のオス》の焼けただれた死骸が残されていることがあります。その死骸は羽を大きく広げて、何かを守りながら自分を犠牲にしたような姿だそうです。気になりながら《雉のオス》の死骸を持ち上げると、その下には《雉のメス》の死骸があるそうです。羽をやや広げ首を躰の下に向けたままの姿で、いかにも母鳥が卵を抱いているかのような姿で息絶えているのだそうです。

もしかしてとおもいのこされている《雉のメス》の死骸を持ちあげると、そこには卵からふ化したばかりのヒナたちがピィピィと鳴いているそうです。その瞬間、ヒナの無事を確認した人は雉の巣の周りで無言でただただ泣き続けるそうです。

 山火事が発生すると、人も動物も鳥たちも安全な場所に逃げている。この雉だって空を飛んで充分に逃げられるのに、雉の夫婦は逃げなかった。ヒナを守るために襲い掛かる山火事の中で自分たちの巣に舞い戻り《ヒナ》に覆いかぶさり守ろうとする《雉のメス》。どんな言葉のやり取りがあったのかは判りません、どんな感情があったのかも判りませんが《ヒナ》を守り覆いかぶさった《雉のメス》のうえに《雉のオス》が羽を広げて覆いかぶさり《メスとヒナ》を守り抜こうとする。その瞬間も火の手と猛烈な煙が迫っているのに。

これが《雉》なんだよと教えてもらいました。

また『キジも鳴かずば撃たれまい』という言葉は、「雉が鳴くから猟師に鉄砲で撃たれるんだ」と言っていたがあれは違うとも教えられました。

動物や鳥のオスが躰も大きく色合いも目立つのは、雄同士の競争に勝ち抜き、雌にアピールするためですが、「雉は違うんだよ」と聞きました。

雉の夫婦がヒナを連れている時に、外敵が近づくと色鮮やかな《雉のオス》は目立つ少し高いところに上がってケ~ン・ケ~ンと鳴きます。その瞬間に外敵は《雉のオス》だけを見ることになり、猟師も《雉のオス》に鉄砲を向けるのです。

実はその瞬間こそが大事なことで《雉のオス》が、自分が犠牲になるかもしれない状況で外敵の注意を総て引き受けるのです。ここでも夫婦の間でどんな会話があったのか?どんな感情があったのかは判りませんが、目立たない色合いの《雉のメス》は、その瞬間にヒナを連れて安全な場所に逃げるのです。《雉のオス》はメスとヒナを守る為に自分を犠牲にするのです。

それを聞いて、学名もニッポニア・ニッポンと呼ばれるトキではなく、国鳥がキジであることに納得した記憶が蘇っています。

命懸けで子どもや夫を守る、命を顧みず子どもや妻を守り抜く。親戚や仲間、地域や国もこうありたいと思います。

動物や野鳥の言葉や感情は判りませんが、常に必死で、命懸けで守り守られているので、動物の世界や野鳥の世界の子ども達は親や大人に対して素直に育つのでしょうね。動物や野鳥に学びたい家族の関係です。

(平成30年12月)

 
【ひと言】~From the Principal~
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2018/12/19

食事と餌』

| by 教004

[ABCDEとあいうえお]

ローマ字の最初の2音は「A・B」です。最後の2音は「Y・Z」ですから2音だけを聴いても何の感情も湧き出ないのです。

日本語の「あいうえお」50音を並べてみれば最初の2音は「あ・い」で始まりますから『愛』と置き換えることが出来るのです。すると最後の2音は「を・ん」となりますから『恩』と置き換えることが出来ます。

つまり日本語は『愛』で始まり『恩』で終わる言語です。人に愛情をそそぎ人から愛情を受けて育ち、人の恩に感謝しながら人にも恩を施せば、問題山積の世の中が良くなるように思うのは私ばかりではないと思います。美しく優しい言語を母国語としている日本人は、元々が美しさ優しさを身につけている民族だと思います。

そんな日本人が育つためには『愛』と『恩』を感じる2つの要素(家・食事)が必要です。ところが最近は『家』『食事』の美しさ優しさが消えかかっている気がします。

食べ物(肉・魚・野菜・果物等)は総て「命」があったものですから、人が食べ物を食べることは『命をいただく』のですから食べる時には「いただきます」食べ終われば「ご馳走さまでした」と命に恩を感じなければなりません。また料理を作ってくれた人の愛にも感謝しなくてはならないのです。

ですが「朝ご飯を食べない」これでは活力も湧かないし脳に必要なエネルギーも届きませんから学力だって伸びないのです。さらに「孤食」と言って一人で食べる習慣も増えてきているのです。誰とも会話が無い、食卓に誰もいない状態ならコミニュケーションを図ろうにも、絆の糸が繋がっていませんから、人との関係作りが苦手になるのです。

          [食事と餌][家と巣]

食事は、作る人が材料を選び、味付け、盛り付けを考えます。さらに食べる人の好き嫌いや体調の変化、暑さ寒さなども考えて調理した食べ物を、集まった人々が「いただきます」と声を出し今日の出来事や明日の予定、街の噂、学校や会社の様子を談笑しながら食べ終われば「ご馳走さま」と言って食べ終われば『食事』なのです。

しかし『餌』なら、ほとんど調理もしなく袋から出して、器に入れて差し出すだけなのです。もしかすると袋に入れたままレンジで温め、他の食材を付きあわせて器に移すかもしれません。ペットの餌を考えれば簡単に理解できると思います。

そこで貴方は毎日『食事』を食べていますか?それとも『餌』を食べていましたか?

もう一つが『巣』動物や鳥でも巣を造ります。子育てをする場所、暑さ寒さや雨露をしのぎ躰を休める場所が『巣』です。人間もマンション等で一人暮らしをしている方は、住まいを『家』とは言わないで多くが『部屋』と言います。ならば『家』とは何でしょうか?雨露をしのぎ暑さ寒さから体を守り、子育てをするだけなら『巣』ですから、『家』ならば家族と団欒があり、互いに夢や目標を語り、愚痴や泣き言を言いあって明日の活力を生み出してこそ『家』だと思います。人間は愛情いっぱいの食事をして家に住み、決して餌を食べ巣に住むわけではありません。

人が人間らしく生きて行くためには『愛』と『恩』から始まり、『巣』ではなく『家』に住み『餌』ではなく『食事』を心掛けたいと思いませんか。  


(平成30年7月)


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