学校長より





森 章

       『食事と餌

   [ABCDEとあいうえお]

ローマ字の最初の2音は「A・B」です。最後の2音は「Y・Z」ですから2音だけを聴いても何の感情も湧き出ないのです。

日本語の「あいうえお」50音を並べてみれば最初の2音は「あ・い」で始まりますから『愛』と置き換えることが出来るのです。すると最後の2音は「を・ん」となりますから『恩』と置き換えることが出来ます。

つまり日本語は『愛』で始まり『恩』で終わる言語です。人に愛情をそそぎ人から愛情を受けて育ち、人の恩に感謝しながら人にも恩を施せば、問題山積の世の中が良くなるように思うのは私ばかりではないと思います。美しく優しい言語を母国語としている日本人は、元々が美しさ優しさを身につけている民族だと思います。

そんな日本人が育つためには『愛』と『恩』を感じる2つの要素(家・食事)が必要です。ところが最近は『家』『食事』の美しさ優しさが消えかかっている気がします。

食べ物(肉・魚・野菜・果物等)は総て「命」があったものですから、人が食べ物を食べることは『命をいただく』のですから食べる時には「いただきます」食べ終われば「ご馳走さまでした」と命に恩を感じなければなりません。また料理を作ってくれた人の愛にも感謝しなくてはならないのです。

ですが「朝ご飯を食べない」これでは活力も湧かないし脳に必要なエネルギーも届きませんから学力だって伸びないのです。さらに「孤食」と言って一人で食べる習慣も増えてきているのです。誰とも会話が無い、食卓に誰もいない状態ならコミニュケーションを図ろうにも、絆の糸が繋がっていませんから、人との関係作りが苦手になるのです。

          [食事と餌][家と巣]

食事は、作る人が材料を選び、味付け、盛り付けを考えます。さらに食べる人の好き嫌いや体調の変化、暑さ寒さなども考えて調理した食べ物を、集まった人々が「いただきます」と声を出し今日の出来事や明日の予定、街の噂、学校や会社の様子を談笑しながら食べ終われば「ご馳走さま」と言って食べ終われば『食事』なのです。

しかし『餌』なら、ほとんど調理もしなく袋から出して、器に入れて差し出すだけなのです。もしかすると袋に入れたままレンジで温め、他の食材を付きあわせて器に移すかもしれません。ペットの餌を考えれば簡単に理解できると思います。

そこで貴方は毎日『食事』を食べていますか?それとも『餌』を食べていましたか?

もう一つが『巣』動物や鳥でも巣を造ります。子育てをする場所、暑さ寒さや雨露をしのぎ躰を休める場所が『巣』です。人間もマンション等で一人暮らしをしている方は、住まいを『家』とは言わないで多くが『部屋』と言います。ならば『家』とは何でしょうか?雨露をしのぎ暑さ寒さから体を守り、子育てをするだけなら『巣』ですから、『家』ならば家族と団欒があり、互いに夢や目標を語り、愚痴や泣き言を言いあって明日の活力を生み出してこそ『家』だと思います。人間は愛情いっぱいの食事をして家に住み、決して餌を食べ巣に住むわけではありません。

人が人間らしく生きて行くためには『愛』と『恩』から始まり、『巣』ではなく『家』に住み『餌』ではなく『食事』を心掛けたいと思いませんか。  


(平成30年7月)


 
【ひと言】~From the Principal~
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2018/07/20

『拘り』       

| by 教004
                             〔拘りの姿〕

 校内でTVドラマの撮影が行われました。どんな俳優さん女優さんが出演するのかと、興味をもって撮影現場で見学をさせて頂きました。

気がつくと別な空間に、気持ちが吸い込まれていました。緊張の撮影現場では同じ台詞を何度も何度も繰り返す。目線は上、声は明るい感情をもっと出してお願いします。指先は膝の上でお願いします。と言うように撮り直しが続くのです。

撮影の前や途中では、教室を会議室のように模様替えしたり、外は晴れているのに曇りや雨の場面では、カーテンやライトの位置を変えて天候まで替えるスタッフさんの姿がありました。

ドラマが放映されるとき、撮影現場という仮想空間が、ドラマを視ている視聴者からは現実空間だと思わせるように、台詞・衣装・歩き方・髪型やメーク・小道具やセットまで《拘り》さらに《拘りぬく》空間があったのです。

ここまでやるんだ。ここまで拘るのか。役者さん監督さんや音声・メーク・衣装さん・さらにセットの係りの方や小道具の係りの方など数十人の集団が、一つのドラマを作り上げる《拘る姿》に感激したのです。

考えれば何かを作り出す会社にも、技術者とか職人さんと呼ばれる匠の人たちに、物づくりの《拘り》があったからこそ世界中でmade in Japanは信頼と安心の証になったのです。

原材料も生産者を選び、道具は製作者まで選び抜いた物を使いこなす。仕事は誰が見ていなくても手を抜かない。納得できない不安があるものは破棄し、使う人の身になって自慢できるものを作る。そのためには時間も労力も惜しまない。そのような拘りです。

そうして日本中でいや世界中が「これは凄い」と驚くものを作る。数十年後でも「いい仕事ですね」と喜ばれ称賛される技術を磨き蓄積していたのです。

学校でも『教え方や内容に拘る、結果にも拘る、教師』は、確実に生徒の力を引き上げ、互いに満足感と達成感に浸ることが出来るのです。学力がある程度低くても、教師の拘りと生徒のこのままじゃ嫌だと思う拘りで難関大学突破も可能です。スポーツのエリート集団でなくても、一つが駄目なら別な方法はないかと工夫する拘りと、勝利への拘り、諦めが悪い拘りで雑草集団に花が咲いた。こんな話は多いのです。

              〔拘りの三要素〕

さて物づくりの世界でも、絵画美術工芸の世界でも、教育や芸術芸能の世界でも《拘り》は、人が良い方向に向かうための原動力だと思います。考えて見ると、教える人が《教えることの拘り》を持つなら、教えを受ける人には《教えてもらう拘り》が必要で、さらにそれを見ている人が《凄い、流石です。と評価する拘り》がなくては、人が育てる人材も作り出す物も良くはないのです。

何かの制作で、作者の《作る拘り》買い求める人の《良い物が欲しいと思う拘り》買い求めた作品を見た人が《これは良いものだ。作者も凄いが、これを買い求めた貴方の眼力はもっと凄いと褒める拘り》で人は成長し作品の完成度は高まるのです。

大切にしたい言葉と態度が《拘り》です。

(平成30年3月)

14:06
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